おばさん、上海ってどうよ!

え!ウソでしょ!? 50代半ばでダンナの海外赴任に帯同することに‥。 2021年〜コロナ禍での帯同に伴う葛藤や奮闘を書き留めていきたいと思っています。

長い間、ありがとうございました!

2021年11月から、いろいろ、書き留めてきたこのブログ。

思えば、2021年2月、コロナ禍なのに、まさかの「4月から上海へ行くことになった」‥と言われた時から始まった、心が揺さぶられる日々を、書き綴ってみたものでした。

 

元々、上海ではなく、国内のダンナの単身赴任先に合流する予定で、早くに仕事を辞めていたので、本当に、上海へ行けるのか?と、事態が動きそうで動かなかったり、動かないのか‥と思えば、急発進のように動き出したりすることに振り回され、結果的に、社会から切り離され、何も出来ない日々を、1年以上、過ごすことになったのも、なかなか、辛い経験でした。

 

実際、やっと、上海へ、渡航出来ることになったのも、まさかのロックダウン中でした!

 

上海在住歴が長い方々でも、この話をすると、「え!あの時に、入国って出来たの?」と、ビックリされるくらいの、レア度。

23日間の入国隔離期間を経た後も、家の中で、ロックダウンの続きを、数週間、経験したのでした。

 

その後も、実質、2日に1度のPCR検査を受け、健康コードがどうのこうの、地区までは行ける、公共交通機関に乗れる、でも上海市内からは出られない‥などの段階を踏みながら、買い物に行けば、同じスーパーマーケットにPCR陽性の人が行った‥というだけで、健康コードが赤くなり、1週間は外に出られなかったりする、行動制限の経験もしました。

 

そして、そんな厳しい行動制限の中なのに、上海に住む、ほとんどの人がコロナに罹るような、感染爆発が起きて、もれなく、私も、あれほど、恐れていたコロナに罹患してしまった‥と思っていたある日、突然、ゼロコロナ政策は、いとも簡単に終了となり、PCR検査漬けだった、この数ヶ月は、いったい、何だったのだろう‥と。

 

上海に帯同していた、1年5ヶ月間で、本当に、自由に行動出来たのは、最後の半年くらい!?

 

たいして、異文化を感じる経験もなく、マスターしたいと思っていた中国語も使えるようにならず、果たして、仕事を辞めてまで、上海に行った意味は、あったのだろうか?

仕事を辞めないで、日本で帰りを待っていた方が、足りないと思われる老後資金を、いくらかでも稼げて、良かったのではないか?‥と。

 

ま、今更、そんなことを考えても、どうしようもないのですが、せっかく、あれだけの手続きを経て、『住めば都』だと信じて、上海へ行ったので、どうせなら、コロナ禍が終わってからの上海も、もっと、長く、体験し、楽しみたかったです。

(ちなみに、本帰国の1年後に当たる、今年の秋まで、居留許可は出ていました。)

 

お世話になった、上海ブラスバンドの縁で、今、日本支部でも、上海帰りのメンバーの皆さまと、ブラスバンドを楽しめているのが、行った甲斐があったという、せめてもの救いかな!?

 

昨日、今月の出来事を、月末恒例の時系列にしてみて、もう、これ以上、上海関連の話を書くことは無さそうだ‥と、あらためて、気付いてしまいました。

後に続く方々の、お役に立つような情報は、もう、新たに出てこないと思うので、このブログの役割は、終わったのではないか?と思いました。

 

昨日も、書いた通り、本来は、再就職するまでを書き留めたい‥と思っていたのですが、バセドウ病を患って、しばらく、就職活動も出来そうにないことから、突然ですが、今日で、このブログを、終わりにしようと思います。

 

今まで、お読みくださった皆さま、コメントをくださった皆さま、読者登録してくださった皆さま、本当に、ありがとうございました。

今後も、バセドウ病の治療とお散歩ウォーキングを続け、体調が安定してきたら、再就職を目指して、頑張ろうと思います!

 

最後に、全ての皆さまが、健康で、平穏に、楽しく暮らしていかれますよう、お祈りしつつ、このブログを締めくくりたいと思います。🙏