おばさん、上海ってどうよ!

え!ウソでしょ!? 50代半ばでダンナの海外赴任に帯同することに‥。 2021年〜コロナ禍での帯同に伴う葛藤や奮闘を書き留めていきたいと思っています。

2022年も、ついに大晦日

今日の上海は、陽はささないことはないけれど、ちょっと、霞んだ感じのお天気。

ダンナも、私も、コロナの後、咳が続いていて、いまひとつ体調不良のまま、年を跨ぐことになりそうです。

 

思い起こしてみれば、今年は、本当に、生涯で忘れられないほど、いろいろなことがありました。🤔

 

まずは、上海へ行けるのか行けないのか?、招聘状をGETするまでに、刻一刻と、変わっていく状況に、一喜一憂し、心が落ち着かなくて、翻弄されるような毎日で始まりました。

慣れないネットの作業をする中、ネット詐欺に、引っかかりそうになったりもしました。

諦めかけていた招聘状が、GET出来てからは、ビザの申請予約が取れなくて、いろいろ、奔走しましたが、奇跡的に、キャンセル枠をGET出来た時には、興奮で、体の震えが止まらなくなったりもしました。

ビザの申請が出来てからは、ひとりで引っ越し手続きをしなければならず、家を空ける最後の3日間は、この歳で、ご飯を食べる暇もなく、ほぼ徹夜で過ごす‥という、過酷な時間も過ごしました。

(この時は、近くに住んでいる子供たちも、仕事の合間をみて、手伝ってくれたので、本当に助かりました。)

 

上海行きの飛行機に乗る前の、コードの申請にも苦労し、コードの申請が間に合わなくて、飛行機に乗れないか?と焦った、渡航前日。

渡航当日は、英語も中国語も喋れないおばさんひとりで、ジェスチャーと『OK?』だけで、なんとか、飛行場から脱出し、ロックダウン中の、誰もいない上海の街中を、パトカーに先導されるバスに乗って、朝、出発した時間からおよそ12時間後に、隔離ホテルへ到着。

14日間の隔離ホテル後、健康観察ホテルを手配してもらっていなくて、政府に紹介されたホテルへ移動し、7日間で済むはずが、自宅へ帰る手配も出来ていなくて、9日間に延期されました。

 

ロックダウン中だったので、自宅へ帰るたった10分間くらいの移動なのに、街中を走れる許可を持った車を手配しなければならず、1500元もするハイヤー(日本で想像するハイヤーとは、全然、違って、運転手さんの荷物も積んであるままの、普通車でした。)を頼むことになり、しかも、運転手さんが約束より早く来るというので、チェックアウトの時間も予定より早めてもらったりしたのに、ホテルの場所を間違えていたりして、迎えに来てくれるまで、結局、予定の時間よりも、遅くなる‥という、中国の洗礼を受けたりしました。

 

自宅についてからも、ロックダウン中で、食べることに、いろいろ、困ったり、ロックダウンが明けてからも、どんどん変わるルールに、ついていけなくて困ったり、まだまだ、行動制限がある中、上海を満喫できずにいると思います。

 

それでも、上海ブラスバンドやオンラインヨガで、新しい出会いもありました。🤗

 

中国語のレッスンも、なかなか吸収力のない、年老いた脳で、頑張りました!

上海市内の観光地にも、いくつか、行くには、行きましたね。

外灘、豫園、朱家角、南翔、七宝老街などなど、およそ2日に1回受けていた、PCR検査の陰性証明をしてくれる、グリーンの健康コードを提示しながら歩いていたのが、今、だいぶん昔の話のように思い出されます。

 

そういえば、『次密(濃厚接触者の濃厚接触者)』判定を受けて、健康コードが赤になり、自宅隔離を余儀なくされたりしたこともありましたね。

もう、何年間も、ずっと、感染しないよう気をつけていたのに、結局、2022年の最後が、コロナ陽性になって自宅療養をすることになってしまいました。

今まで、インフルエンザを家庭内感染をさせたことがない私も、ゼロコロナ政策が解放された途端に、ダンナが拾ってきたウィルスにやられてしまって、なんだか、悔しいです。

 

まさか、コロナのせいで、咳が続くような健康状態のまま、2022年から2023年を跨ぐことになろうとは、こんなお正月を迎えるのは、初めてかも‥。😅

 

お蔭さまで、このブログ、去年の11月に始めたので、1年以上、続けることが出来ました。

当初の予定より、文章が上手になったりしていなくて、読みにくいままだと思いますが、今年も、お読みいただいて、ありがとうございました。

また、来年も、頑張って、なるべく、毎日、書いていこうと思いますので、どうぞ、よろしくお願いいたします。

 

最後に‥

皆さま、コロナには出来るだけ罹りませんよう、お気を付けいただきまして、どうぞ、良いお年をお迎えになれますよう、上海から、心より、お祈りいたします。🙏